1961年(昭和36年)押し屋雛
昭和30年代、都市の通勤ラッシュは年々ひどくなり、電車に乗客を押し込む「押し」「はぎとり」を行い、少しでも運転時間の短縮に努めようとしました。
日本は昔から小さい国の面積に対して、人口の多い国でした。
さらに、経済の発展に伴い、首都圏、特に東京に人口が集中していきました。
1955年〜1970年までは毎年30万人〜40万人の転入超過がありました。
この頃から通勤ラッシュが生まれ、どんどんひどくなりました。
戦後の人口の増加に電車の本数が間に合わなかったこと、また今のように対策がなされる前の通勤ラッシュは、通勤地獄と言われるほどひどいものだったそうです。
通勤地獄と呼ばれた昭和30年代の乗車率は300%にも届いたそうですが、300%というとほとんど隙間がない状態です。
今はひどいラッシュでも200〜250%ですから、当時がどれだけひどい状態であったか想像ができると思います。それでも駅員さんが押し込むことは今もありますよね。
満員電車は本当に都会の大きな問題の1つです。
以前、満員電車に乗っているときに、途中の駅でトラブルがあり、20分間線路の途中で停車していた時がありましたが、人がたくさんいる中で20分間じっとしているのは辛かった思い出があります。
具合が悪くなった人が何人もいて、運ばれていきました。
日本の電車は時間に正確と言われていますが、それでもラッシュ時は遅れるのが普通ですよね。
朝はやはり早く出発しなければならなくなり、ラッシュを避けるのが難しくなってきます。
通勤ラッシュ、どうにかならないものでしょうか。
それでは今日はこのあたりで。