保元物語や平治物語には、源氏に代々伝えられた「8つの鎧」の話が残っています。
「源氏八領(げんじはちりょう)」と呼ばれるこの8つの鎧は、平治の乱で「楯無(たてなし)」という鎧1つを残して全て失われ、伝説上の存在となりました。
(※領=鎧の単位。1領、2領…と数える。)
真多呂人形では、八領全てではありませんが、一部を甲冑師・加藤一冑が再現した五月人形の鎧も取り扱っております。
本日は、この伝説の源氏八領をご紹介いたします。
源氏八領「楯無(たてなし)」
源氏八領の内、唯一現存する鎧です。「『楯がいらない』程の丈夫な鎧」からその名がきています。
楯無は甲斐源氏の家宝として受け継がれ、現在では、山梨県の菅田天神社に納められています。「小桜韋威鎧 兜、大袖付(こざくらがわおどしよろい かぶと、おおそでつき)」として国宝の指定を受けています。
写真の四分の一 小桜革兜飾りセットは、楯無の兜をモデルに制作されました。
源氏八領「八竜」
八竜は、その名の通り八匹の竜が飾り付けられた鎧です。仏法を守護する「八大竜王」にあやかったものと言われています。
源為朝に与えられ、平治の乱では源義朝の長男・義平が着用したと言われています。
写真の三分の一 八竜鎧飾りは、八竜をモデルに制作されました。
源氏八領「膝丸」
膝丸は、牛千頭の膝の皮を集めて作ったとされる鎧兜です。膝の皮は牛皮の中で一番固いとされ、それを千頭分も集めて作ったこの鎧は、非常に強固であったとか。
平治の乱では、源義朝が着用したといわれています。
写真の三分の一 膝丸鎧飾りは、膝丸をモデルに制作されました。
源氏八領「沢瀉(おもだか)」
詳細が伝わっていない鎧です。沢瀉とは、色糸を使用し、上を狭く下を広く、オモダカの葉の形のように編んだ模様の事を言います。そこから、源氏八領の沢瀉にもこの模様が施されていたと推測されています。
写真の四分の一 白糸沢瀉兜飾りセットにも、沢瀉の模様が施されています。
源氏八領「日数(ひかず)」
保元の合戦では、源為義の子、五郎掃部助頼仲・賀茂六郎為宗・七郎為成・源九郎為仲のいずれかが着用したと伝えられています。
写真の四分の一 紫裾濃鎧飾りセットは、日数をモデルに制作されました。
源氏八領「月数(つきかず)」
朽葉色と唐綾威の鎧と言われています。
保元の合戦で、左衛門頼賢が着用したと言われています。
源氏八領「源太産衣(げんたのうぶぎぬ)」
源義家が誕生した時、父の源頼義が作ったとされる鎧です。義家の幼名が源太丸だったので、この名が付きました。
源氏の嫡男が鎧の着用初めに代々用いたと言われています。
初代鎌倉幕府将軍の源頼朝も、元服時にこの鎧を着用しました。
源氏八領「薄金(うすかね)」
源氏の棟梁だけが着る事のできた鎧です。緋威の鎧と伝えられています。
保元の合戦では、源為義が着用したと言われています。