端午の節句の起源は桃の節句よりも古く、奈良時代に厄病を避けるための行事として行われていたようです。
初めは宮廷行事だったのが、自然と子供たちがお互いのからだを菖蒲の葉でたたき合う遊びに変わり、鎌倉時代には一般家庭でも端午の節句を祝うようになったといいます。
江戸時代になると、男児誕生の祝日として定着しました。
その当時は家の門前にのぼりや吹流しを立てて祝いました。
武家ののぼりには家紋が入っており、町人はそれに対して鯉をかたどったのぼりを立てたのが、現在の鯉のぼりのルーツです。
五月人形の普及
端午の節句を一般家庭でも祝うようになったのは鎌倉時代からですが、五月人形が一般家庭に普及するのは明治時代以後のことです。
明治から昭和まで、軍国調の色合いが濃い武者人形が作られたこともありましたが、戦後になると、大きく様子が変わります。
男の子の誕生祝いと健やかな成長を願って、五月人形や鯉のぼりが飾られるようになります。
初夏のすがすがしい季節にふさわしい楽しみになりました。
※写真は真多呂人形の五月人形「凛」です。