木目込み人形のルーツ、賀茂人形の誕生
木目込み人形の創始者・高橋忠重
木目込み人形は、いまからおよそ260年前の江戸元文年間に、京都の上賀茂神社に仕えていた高橋忠重という人が作った小ぶりの人形が「木目込み人形」の始まりとされています。
高橋忠重は、当時、上賀茂神社に仕える堀川家で宮大工をしていました。
この堀川家は神官で、代々、祭り事に使用される諸道具を上賀茂神社に納める職にありました。
その道具の一つである「柳営(神事に用いられる小物を入れる箱)」を作った時の端材を、暇なおりに忠重が削って人形にしていたようです。
その人形は鴨川のほとりの柳の木を素材に木彫をほどこし、そこに溝を掘り神官の衣裳の端切れをきめこんだものでした。
木彫りのあとに磨きをかけることもなく、青みがかった柳の木肌がそのまま生かされた、とても味わい深い人形です。
息子から孫へと受け継がれる木目込み人形
この人形の作法は息子から孫へと受け継がれていきました。
通説では、三代目の大八郎はたいそうな名工として評判高く、「大八郎人形」と呼ばれる数多くの人形を残しています。
しかし、ここではいろいろな説が入り乱れており、特に「大八郎」というのは高橋家の異名であり、実は大八郎という人物は三代目ではなく、創始者の高橋忠重本人のことではなかったかという見方もあります。
いずれにしても、現在残されている賀茂人形はかなりの数にのぼりますので、一代一人だけの作品とは思われず、何代か続けられたものであることは確かでしょう。
写真の木目込み人形解説
【写真一枚目・上】
木目込み人形の創始者・高橋忠重が1736〜41年頃に作った賀茂人形です。
縁起の良い七福神で、真ん中にいるのは弁財天です。(真多呂人形 所蔵)
【写真一枚目・下】
文化の頃、高橋忠重の孫の大八郎が作った賀茂人形は、大八人形とも呼ばれていました。
こちらの人形も大八郎作の大八人形「すずめ踊り」です。(真多呂人形 所蔵)
【写真二枚目】
初代・真多呂作「三番」です。