1961年(昭和36年)押し屋雛
昭和30年代、都市の通勤ラッシュは年々ひどくなり、電車に乗客を押し込む「押し」「はぎとり」を行い、少しでも運転時間の短縮に努めようとしました。
日本は昔から小さい国の面積に対して、人口の多い国でした。
さらに、経済の発展に伴い、首都圏、特に東京に人口が集中していきました。
1955年〜1970年までは毎年30万人〜40万人の転入超過がありました。
この頃から通勤ラッシュが生まれ、どんどんひどくなりました。
戦後の人口の増加に電車の本数が間に合わなかったこと、また今のように対策がなされる前の通勤ラッシュは、通勤地獄と言われるほどひどいものだったそうです。