家庭電化雛

1955年(昭和30年)家庭電化雛

市民の収入がぐんぐん上がっていく中、クーラー、テレビ、炊飯器、トランジスターラジオなどの家電が相次いで開発され、家庭の中に電気製品がどんどん増えていきました。

電気製品はその後も現在までどんどん増え続けています。

冬は、ホットカーペット、床暖房、エアコン、電気ストーブ、コタツ、テレビ、パソコン、DVDプレーヤー、電子レンジなどなど…私たちは多くの電気製品を使っています。

そのため、家庭の消費電力は相当なものになるはずです。

ウォームビズは主にオフィス向けですが、一般家庭でも実践できることがあります。

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南極観測雛

1956年(昭和31年)南極観測雛

こんにちは。
今日は南極観測雛を紹介します。

戦後10年、日本は国際社会の舞台に復帰するため、国連の「国際地球観測年」プロジェクトに参加することに。

南極大陸を観測・調査するため、「宗谷」が南極観測船に選定され、改造されました。
「宗谷」は、11月8日晴海埠頭から南極へ出航し、翌年1月24日南極へ着岸しました。

1958年12月に国際地球観測年が終了したのちも、当時建設された昭和基地は、南極で観測を続けています。

南極大陸は日本の33倍あって、まわりを広い南極海が囲んでいます。
南極海が冬になるにつれ凍っていくと、南極は大きくなっていきます。

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2008年(平成20年)真多呂人形「変わり雛」

世相を映し、風刺も込める変わり雛。2008年変わり雛6点を紹介します!!

1.突然辞任雛

9月、安倍晋三総理大臣が突然辞任を表明する。2日前に所信表明演説を終えたばかりで、衆院での代表質問が始まる直前の辞意表明は憲政上例がなく、与野党、そして国民に衝撃を与えた。首相辞任の理由は、ねじれ国会でテロ特措法の再延長が困難であり局面を打開するためとも、健康問題とも言われている。

男雛:安倍晋三前首相  女雛:昭恵夫人


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神武雛

1957年(昭和32年)神武雛

こんにちは!
今日は神武雛を紹介します。

昭和31年秋から翌年5月まで、国内は未曾有の好景気に沸きます。
建国以来の好景気という意味から付いた名は「神武景気」。

この好景気により、第2次世界大戦後の復興を果たした日本経済は「もはや戦後ではない」という有名なことばで表され、洗濯機、冷蔵庫、白黒テレビの「三種の神器」が一般家庭に普及していきました。

さて、ここで1つの疑問が生まれました。
「三種の神器」とは、歴代の天皇が皇位のしるしとして受け継いだとされる3つの宝物。転じて、揃えてあれば理想的とされる3つの品物のことをいいます。
今の世の中で「三種の神器」といえば何でしょうか?

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フラフープ雛

1958年(昭和33年)フラフープ雛

こんにちは!
今日はフラフープ雛を紹介したいと思います。

直径約1mのプラスチックの輪、フラフープ。
なぜ、フラフープという名前がついたのでしょうか。

実は、フラフープは、フープを回そうとして腰を振る様子がフラダンスと似ていることから、その名がつけられたそうです。

昭和33年10月18日、フラフープは日本で全国一斉発売され、爆発的に流行しました。
1本270円程度で買えたそうです。当時の270円ですから、けして安いおもちゃではなかったと思われます。
2007年現在は1個1000円以内から販売されています。

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皇太子御成婚雛

1959年(昭和34年)皇太子御成婚雛

1959年、4月10日、当時の皇太子(現在の天皇)と正田美智子さん(現在の皇后)の御成婚がなされ、盛大なパレードが開かれました。
何十万人もの人が御成婚を祝ってパレードへ駆けつけました。

お2人は軽井沢のテニスコートで出会ったと言われています。

この御成婚以後、美智子さまブームは最高潮に達しました。
美智子さまのテニスルックなどを女性たちが真似はじめ、ブローチ・ヘアバンド・ストールなどのファッションが大流行しました。

それでは、今回の変わり雛の背景となっている「菊の御紋」と「雉(きじ)」について説明します。

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所得倍増雛

1960年(昭和35年)所得倍増雛

「国民所得倍増計画」は、池田勇人内閣で決定された長期経済計画です。

1961年からの10年間で国民総生産を26兆円に倍増させる計画でしたが、その後日本経済は急速に成長し、約6年で国民総生産は倍増しました。

昭和35年7月、池田勇人内閣が成立、12月には「国民所得倍増計画」が閣議決定されました。

所得倍増計画の目標は、

  1. 国民の生活水準を引き上げること
  2. 雇用の増大による完全雇用の達成
  3. 農業と非農業、大企業と中小企業、中央と地方の格差の是正

でした。
長期計画に基づく投資によって、社会資本が整備され、貿易と為替の自由化政策も大きく進展しました。

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押し屋雛

1961年(昭和36年)押し屋雛

昭和30年代、都市の通勤ラッシュは年々ひどくなり、電車に乗客を押し込む「押し」「はぎとり」を行い、少しでも運転時間の短縮に努めようとしました。

日本は昔から小さい国の面積に対して、人口の多い国でした。

さらに、経済の発展に伴い、首都圏、特に東京に人口が集中していきました。
1955年〜1970年までは毎年30万人〜40万人の転入超過がありました。

この頃から通勤ラッシュが生まれ、どんどんひどくなりました。

戦後の人口の増加に電車の本数が間に合わなかったこと、また今のように対策がなされる前の通勤ラッシュは、通勤地獄と言われるほどひどいものだったそうです。

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手作り人形キット

もうすぐ12月、そろそろ2007年も終わりに近づいてきましたね。

来年はねずみ年です。
こんなかわいい子ねずみを飾ってみてはいかがでしょうか。

お部屋に飾るとこの子ねずみが福を運んできてくれます。

実はこの人形、手作りでつくっていただくキット販売用商品となります。
ボディはできあがっていて、そこに布を木目込むだけです。
誰でもできるような作りになっています。
お値段もお求め安くなっております。

初心者でも簡単に作る事のできる、縁起の良い干支の木目込み人形キット。ご興味のある方は、ぜひ挑戦してみてくださいね。

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スーダラ雛

1962年(昭和37年)スーダラ雛

スーダラ節は、青島幸男作詞、萩原哲晶作曲の大ヒット曲。

この曲を歌った植木等は、爆発的な人気を獲得しました。
この大ヒットを受けて映画が製作されるほどでした。

「スーダラ」は植木さんの口癖だったようです。
これを、作詞者の青島さんが歌詞に取り入れました。

また、植木さんは、この歌などによって、無責任なイメージがつきましたが、ご本人はとても真面目な方だったようです。

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今日は赤ちゃん雛

1963年(昭和38年)今日は赤ちゃん雛

「こんにちは赤ちゃん」は、梓みちよの爆発的ヒット曲です。永六輔作曲、中村八大作詞。

この曲は10月に発売されたにもかかわらず短期間に売上を伸ばしたために、その年のレコード大賞を受賞しました。レコードは100万枚を超える大ヒットだったようです。

「共感覚」という言葉をご存知ですか?

「共感覚」とは、音を聞くと色が見える・数字を見ると色が見える、というように、一つの刺激が、それによって本来起こる感覚だけでなく、他の領域の感覚をも引き起こすというものです。

赤ちゃんはこの感覚を持っているといわれています。
通常は脳が発達するにつれなくなってしまいますが、まれにこの感覚を持ったまま大人になる人もいます。

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新幹線開通雛

1964年(昭和39年)新幹線開通雛

10月1日午前6時、最高速度200kmで東京大阪間を4時間で結ぶ新幹線が開通しました。

現在の東海道新幹線です。

それまでの所要時間を半分にするスピードに「夢の超特急」とまでいわれたそうです。

東京オリンピック開会直前に開業され、大きな注目を集めました。

その後どんどん新幹線の範囲は広がっていきました。

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明治100年雛

1965年(昭和40年)明治100年雛

こんにちは!
今日は明治100年雛をご紹介します。

明治元年から100年経った年、1968年を記念して、佐藤内閣は、日本武道館で記念式典を行うことを決定しました。

明治時代は、1868年に幕府から朝廷へ政権が移されたことから始まります。
そこから明治維新・近代化が急速に進みました。

なので、近代化が始まって、100年経ったことを祝おうということになったわけです。

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値上げ反対雛

1966年(昭和41年)値上げ反対雛

1965年、日本経済は「深刻な不況」(経済白書)の状況下にありました。
いざなぎ景気が起こる前のことです。

にもかかわらず、この時期に医療費、食料費、家賃、学費など多くの値上げが実施されたため、不況感を感じている国民はたまりません。各地で値上げ反対運動が起こりました。

「40年に入って消費者米価の引き上げ、医療費の改訂、交通関係の諸料金の値上げ等が続き、天候不順による野菜の高騰とあいまって、消費者物価の騰勢は強まっている。
私立校の授業料や民営の家賃の上昇率は38年度の上昇率を上回って、39年度平均指数では民営家賃13.1%、私立校授業料12.5%の上昇となっており、40年4月にも私立校の授業料はさらに大幅に引き上げられている。」
参考:昭和40年度 年次経済報告

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紀元節復活雛

1967年(昭和42年)紀元節復活雛

こんにちは!
今日は紀元節復活雛について紹介します。

紀元節をご存知でしょうか。
紀元節は、旧制度の祝日の1つです。

現在のように「国民の祝日」が定められる以前には、祝祭日が存在していました。
祝祭日の中の、祝日の中の、四大節というくくりの中の1つが紀元節なのです。

<紀元節復活>とはどういうことでしょうか。

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昭和元禄雛

1968年(昭和43年)昭和元禄雛

昭和30年頃から高度経済成長とともに、国民生活が変化していきました。

週刊誌や月刊誌が多く創刊され、テレビや映画、漫画などが普及しました。一方、物が増え、使い捨ての社会となってしまった一面もありました。

上の変わり雛をご覧下さい。
背景には聖徳太子が描かれた一万円券があります。1958年に発行された高額紙幣です。

さらに、雛が着用している衣服は、江戸時代(元禄文化の時代)のものです。男性がかぶっているのは烏帽子で、女性がかぶっているのは綿帽子(わたもうす)です。

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月面着陸雛

1969年(昭和44年)月面着陸雛

宇宙旅行が夢ではなくなる時代がやってきます。

1969年7月20日、アメリカ合衆国のアポロ計画が成功し、人類で初めての月面着陸に成功しました。

人類で初めて月に降り立ったのはアポロ11号のアームストロング船長で、その瞬間をテレビによって全世界で5億人を超える人々が視聴したといいます。

「That’s one small step for (a) man, one giant leap for mankind.」(一人の人間にとっては小さな一歩だが、人類にとっては大きな飛躍だ)
とアームストロング船長が発した名言のように、人類が地球以外の星に達した大きな一歩だったのです。

人類初の月面着陸から約40年…なんと、今では宇宙旅行が大手旅行会社のJTBから発売されています!

月旅行・本格宇宙旅行(軌道飛行)・宇宙体験旅行(弾道飛行)・無重力体験(アメリカ&ロシア)があります。

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万博雛

1970年(昭和45年)万博雛

こんにちは。
今日は万博雛を紹介します。

6400万人を超える人を集めた大阪万国博覧会は、「人類の進歩と調和」(Progress and Harmony for Mankind)をテーマに、1970年3月15日(日)から9月13日(日)まで開催されました。

有名な芸術作品の「太陽の塔」は、現在でも大阪のシンボルとして大切にされています。

さて、日本で万博は何回か開催されていますが、万博を開くことを、誰がどうやって決めているのでしょうか。それを調べてみることにしました。

万博などと呼ばれていますが、正式名称は国際博覧会といい、国際博覧会条約(BIE条約)に基づいて開催されます。

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沖縄返還雛

1971年(昭和46年)沖縄返還雛

1972年5月15日に沖縄はアメリカから日本に返還されました。

日米安保の延長と引き換えの返還でしたし、これに付随する問題が今でも存在していますが、今日は、政治的な話題はやめて、沖縄の島国について述べたいと思います。(参考:沖縄県HP)


4番目に小さい都道府県・沖縄県

沖縄県は、なんと、大小160もの島々からなり、面積は約2272k?、日本で4番目に小さい都道府県です。
もっとも北にある島は硫黄鳥(いおうとり)島。もっとも南にある島は波照間(はてるま)島。もっとも東にある島は北大東(きただいとう)島。もっとも西にある島は与那国(よなぐに)島です。

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日中親善雛

1972年(昭和47年)日中親善雛

1972年9月29日、北京で田中角栄・周恩来両首相によって、日中共同声明の調印式が行われました。

これをもって戦前からの戦争状態は終結し、日中の国交が樹立されました。

1971年中華人民共和国は国際連合に加盟。
田中角栄が日中国交樹立に踏み切ったのは、1972年2月にニクソン大統領が中国を電撃訪問し、米中共同声明に調印したことが大きく影響しています。

ともかく、さまざまな事情があって日中国交が樹立されてから約35年が経ちますが、ついに来年は北京オリンピックが開催されますね。

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